2024.1.19
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・昔茶道をしてたのですが、お菓子おいしい〜趣味娯楽としか思っていませんでした。
今思えば、あれは
“身体の感覚に集中する”
稽古でした。
自分には一見、無意味に思えた帛紗のたたみ方、畳の上を音を立てずに歩く動作、黒楽茶碗のコロンとした重みを手のひらに感じ、やさしい口当たりの薄茶の泡。
まさに目の前のこと、指先の感覚、足裏の感覚、掌の感覚、唇の感覚に意識することでした。
そのとき、その日あったモヤモヤした雑念や妄想をする暇などなく、ただお茶の稽古に没頭してその時をまるごと楽しんでいました。部屋に飾ってあるお軸も“禅”に関わるものが多かった。
師範によるでしょうが、“道”がつく稽古がよいと一般に言われるのは、そういう
“身体の感覚に集中する場所があること”
からきてるのかもしれませんね。
(ただ和の稽古、特に茶道とかは先生だけに月謝だけならいいんだけど、免許とかになると会ったこともない茶道の家元にお金を納めるみたいで、当時の自分は無理してまでそれは出来ませんでしたし違和感を覚えてしまった。いや昭和とか平成初期なら普通だったのだろうけど、令和はきつい しかし尊敬する先生は80オーバーなのでその辺の世代ギャップがかなりあるように感じました)